自主活動グループの広場

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タイトル
歩こう会B 活動紹介
~「高松かるた」散策~
活動地域
茨城県鹿嶋市
日時
2022年2月9日㈬ 茨城県鹿嶋市
グループ名
歩こう会B
グループのメンバー数
4名(男性1・女性3)
活動開始時期
2012年12月
プログラム
ウォーキング
情報
今までの活動は鹿島神宮を中心にしていましたが、今年は高松地区の《高松かるた》散策マップをもとに、表示板を追って巡ってみます。

高松かるたは、昭和60年に高齢者大学の受講生たちが、昔話や伝説、身近な史跡を子どもたちに伝え残そうと読み句を作り、その読み句に合わせ地区在住の画家が絵札をを描いたものです。

先ずは高松公民館のある粟生(あおう)地区から。

 六郷家 のこす堤に ニュータウン


【粟生池という溜池は、田んぼに引く大切な水。しかし堤を築いても大雨で流され続ける。そんなある日二人の六部さんが、人柱を供えなければ祟りは消えない、と。そして六部さん二人が、「ここに留まり永く皆さんをお守りしましょう」と、生き仏になって池の底に。その後堤は流されず、しっかりした堤になった。村の人たちは、六部様の供養に塚を築き石碑を建て、桜を植えたとさ。】

今は開発で埋め立てられ、石碑も他所に移されている。


 恵みの雨に おびんずるさま 化粧する
六郷塚の表示板を見て、こんもりとした小高い山へと上る。そこは平光寺。その薬師堂の濡れ縁に、木造のおびんずるさまがおられる。



【田植の時期になっても雨が降らず困った村人に、おびんずるさまは夜中に粟生池まで運ばれ、頭のてっぺんから体中に泥を擦り付けられ置き去りにされた。次の日粟生の人々はその姿に大さわぎ。すると空が急に真っ黒くなり雨が降ってきた。干からびた田んぼが雨で浸み大喜び。おびんずるさまも、この雨ですっかり泥んこが洗い流され、さっぱりした。粟生の人々はおびんずるさまの顔に、おしろいをつけ紅をつけ感謝の赤い頭巾を被せ、大事に元の濡れ縁に座らせたと。】

今は白い頭巾を被っておられる。木像故ひどく朽ちているところもあるが、それがなお歴史を感じさせる。こんもりとした木々に守られ、高台から地球温暖化をどう眺めておられるだろうか。


 歴史にも その名は高き 粟生城
平光寺の南側にこの粟成城はあったのだが、今は残念ながら城跡どころか高台の姿もない。太平洋戦争中に飛行機を造るのに上の方の土が削られ、その後鹿島開発が始まって、残っていた土もみんな削り取られてしまった。


【鎌倉時代鹿島城主が、下総勢を用心し、鹿島の南の砦とし、粟生氏と名乗らせ守らせた。鹿島灘から鰐川の方まで眺められ、周りは土塁で囲み、東は御城(みじょう)、西に内御城、北には外城(とじょう)と三つ分かれて、備えの良い山城であったという。】


平光寺側から、平になっている広大な土地を見られるが、なんとも歴史も何も感じられぬこと、残念。
どこでもその土地土地の歴史は深い。鹿嶋市では各地区ごとのかるたで、その土地の歴史を子どもたちに伝えている。この続きも楽しみである。

<2022.2.15 掲載>