自主活動グループの広場

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タイトル
歩こう会B 活動紹介
~「高松かるた」散策③~
活動地域
茨城県鹿嶋市
日時
2022年4月13日㈬
グループ名
歩こう会B
グループのメンバー数
4名(男性1・女性3)
活動開始時期
2012年12月
プログラム
ウォーキング
情報
「高松かるた」第3回 長栖・泉川・国末地区
ここ数日の夏日に、陽ざしを気にしながらも、桜を散らし、若葉を揺らすさわやかな風に、心地よく汗をかきながらの集合となりました。

 豊かなる 黄金の稲穂 津の下り田んぼ
まずは公民館から南に向かう。坂を下り住宅地を抜けると、一面田んぼが広がる。用水路にはどんどん水が流れ、田んぼに注がれていく。もう水に満たされ田植の準備だ。このあたり一帯が、中世から江戸時代にかけて『津』つまり長津の港に下りる田の豊かさを称えられたのだろう。シラサギが餌をねらう。


 足病んで わらじそなえる 道祖神
東に向きを変えほどなく道祖神が祀られていた。榊が上げられ、大切にされているのがわかる。右端の古さはこの地で、長年の安全を願っておられたのだろう。


 戦いの はげしさ語る 大刀洗川
大刀洗川は、戦いのあと武士が血のりを洗った川という。【天平年間のこと、この戦で鹿島城も墜ちたとのこと。】以前は水も澄んで釣りや水遊びもできたそうだ。石橋を発見。しかしその先は藪に覆われ産業道路に暗渠で流されていた。


 熊野なる 神の使いの 大ウナギ 

【二百年ほど前大水が出た時、泉川に金の幣束の立った俵ボッチに白いウナギが乗って流れ着いた。大水に苦労していた村人は神様のお使いに違いないと、このウナギを川に放してやり、御幣束は熊野神社の御神木として奉納した。その後は御利益か、大水はなくなったとか。その金のご幣束は明治になって盗まれ今ははいそうだ。祀った六左衛門の子孫は今もウナギを食べないそうだ。】

 背負われて 難を逃れた 火伏の地蔵 

国末の常福院というお寺には、立派なつくりの地蔵堂があり6尺5寸あまりの立派なお地蔵さまがおられた。
【ある時三王台という小高い台地で、火の不始末から火事になり、風下のお寺にも火は移りました。「お地蔵様を助けてくれー」に若衆が火の手の回った地蔵堂に入ると、地蔵様は若衆の背にヒョイと負ぶさったと。火の中からお地蔵様を助け出すと、不思議にも風も止み、火も消えて村には広まらなかったと。そんな不思議なご利益に『火伏せの地蔵』と呼ばれ、今もお堂の中に立っておられます。】

公民館を起点終点とし、5km余りの道程でした。田んぼの中にこんもりと木立があればそこは昔話の宝庫。産業道路に平行に一歩内側は、昔の営みが垣間見られた所でした。
<2022.4.19 掲載>