自主活動グループの広場

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タイトル

シャトークラブ 活動紹介
~北千住 今昔~

活動地域

東京都世田谷区

日時

2023年12月1日㈮ 東京都足立区

グループ名

シャトークラブ

グループのメンバー数
4名(男性1・女性3)
活動開始時期
2018年3月
プログラム
旅行
情報

今回の旅のテーマは「北千住今昔」

背景情報:●千住大橋は家康の命で、関東群代伊奈忠治が架橋、今は墨田川だが当時は荒川。荒川は名称の如く反乱を繰り返した。そのため荒川放水路が開削された。●千住は奥州街道・日光街道の宿場で、特に日光への参拝のため江戸四宿で最大のものだった。それ故市場が発達し、青物・川魚・米穀を扱い、千葉・茨城・埼玉県のものがここに集まったと思われる。●隅田川・荒川放水路がある、そのため工業が発達し、その「工業都市時代」の千住の象徴が<おばけ煙突>、大正15年から昭和39年まで続いた。●北千住駅は鉄道が集中。常磐線・日比谷線・東武伊勢崎線・千代田線・つくばエクスプレス・京成本線などが集まっていて、通過或いは乗換駅として利用したことはあっても、下車して界隈を旅するのはメンバー皆、今回が初めてである。

集合:代々木上原駅 9時30分

北千住駅10時➡金蔵寺➡森鴎外旧居跡➡勝専寺(赤門寺)➡大橋眼科医院➡本陣跡➡見番碑➡浅川医院➡千住街の駅➡絵馬屋➡横山家➡長圓寺➡めやみ地蔵➡氷川神社➡かどや(やりかけ団子)➡名倉医院➡安養院➡学びピア21➡千住大門商店街・えびす会通り➡ランチ「ILSE」➡おばけ煙突モニュメント➡北千住駅➡カフェ「わかば堂」➡北千住駅

駅から雑多な飲食街を抜けてすぐのところに「金蔵寺」。遊女供養塔と餓死者無縁塔は、千住宿繁栄と天保大飢饉のもの。「鴎外旧居跡」は高層ビルに生まれ変わっていました。赤門寺の名で知られる「勝専寺」門前でご近所の方に「どういうグループ?どちらから?」「最近は皆さんのように訪ね歩いてくる方が多い。流行ってんのかね~~」と声をかけられました。

北千住①

続いて本陣がある一帯に進みます。「見番横丁」は細い路地で、明治から昭和初期まで芸者置屋・髪や・車やが連なっていたそうで、面影は残っています。このあたりが宿の中心地でした。「千住街の駅」は小さな観光案内所で、いろいろな資料が所狭しと置いてありこの後の行程に役立ちそうなイラストマップをいただき、大いに助かりました。途中路地の奥に黄金に輝く銀杏が見えました。行程にはないところですが、そういう寄り道も楽しいものです。

北千住②

「横山家住宅」は代々の地紙問屋で、安政大地震直後の建物で裏の藏は天保年間のものだそうです。槍かけ団子の「かどや」でちょっと一息。みたらし、あん団子が1本100円、それぞれ好みの味を。老夫婦お二人の丁寧さが伝わってきて、格別に美味しかったです。「もう1本」「私はお土産にも」。ご近所でしたら毎日でも立ち寄りたいお店でした。

北千住③

骨接ぎの代名詞「名倉医院」は立派な庭園を誇る大きなお屋敷病院でした。大正時代には日に300~500人ほどの患者があり、入院設備がないために周辺に5件の宿屋があったとか。千住で最も古い寺「安養院」を経て「学びピア21」へ。荒川はすぐそこです。

北千住④

ここでエピソード。足立市場へ向かうバスの時間は数分後に迫っているが、(土地の方に聞いても)バス停が見つからず、あっちだこっちだと言っている間に、循環バスは行ってしまいました。ここでコース変更となります。ランチを楽しみにしていた「足立市場」へは行かず、「おばけ煙突」に直行することにしました。(先ほどの地図が頼り)○○通り、○○商店会を歩いても食事処は一つもありませんでした。スマホ検索と近くの大学の守衛さんの情報をもとに、やっと見つけたイタリアン。よく歩いた先のパスタは、なんと美味しかったことか!

北千住イタリアン

隅田川の岸辺、「おばけ煙突」に到着。昭和39年まであった東京電力千住火力発電所の煙突は、見る角度によって本数が違うことから、おばけと称されたそうです。(本当は4本)現在はモニュメントだが、この日はスカイツリーも入って、5本でした。

北千住⑥バスで北千住駅に戻り「カフェわかば堂」へ。路地裏の分かりにくいところ、ずいぶん探し回りました。民家を改装した隠れ家的カフェ。趣のある空間でのコーヒーとケーキで癒されました。行程を振り返り次回2月のことを語り合い、本日の旅を終えました。

北千住⑦

<2023.12.20 掲載>