自主活動グループの広場
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シャトークラブ 活動紹介
~文京区の旅②植物園・文化財・文学~
東京都世田谷区
2024年4月26日㈮ 東京都文京区
シャトークラブ
3月に続いて文京区の旅第2弾です。小石川植物園をメインとしてテーマは「植物園・文化財・文学」。今回初めてゲスト参加者2名(メンバー友人)をお迎えし、5名で新緑の空気をいっぱい吸って、楽しく巡ってきました。
集合:丸の内線茗荷谷駅(春日通り方面出口) 10時
茗荷谷駅➡カイザースラウテルン広場➡旧磯野家住宅➡占春園➡石川啄木終焉の地➡播磨坂➡小石川植物園➡昼食➡樋口一葉終焉の地➡旧伊勢屋質店➡樋口一葉旧居跡➡本郷三丁目駅
茗荷谷駅にてゲスト参加者と合流、自己紹介、資料配布の後すぐそこに見える窪町東公園「カイザースラウテルン広場」を目指します。文京区とドイツのカイザースラウテルン市の姉妹都市提携を記念して造られたファンタスティックなスポット。彫刻家ゲハルト&バルバラ・ルンプフ夫妻の創作したヨーロッパ伝説に出てくる架空の生き物たちの彫刻が並んでいます。
少し進むと目の前に広がる「教育の森公園」。吹く風も気持ちよく、その新緑に圧倒されました。湯立坂はケヤキ並木の美しい坂道で、坂マニアに称賛される東京屈指のポイント。その右手に銅御殿(あかがねごてん)と称される「旧磯野家住宅」、門構えと外観のみだが、風格が感じられました。続いて「占春園」、徳川光圀の異母弟松平頼元の屋敷の一部、筑波大附属小の自然観察所だが一般にも公開。自然そのままの姿が残されている道を少しだけ進んでみました。
「石川啄木終焉の地」は顕彰室になっていて明治45年4月に26歳で生涯を閉じた啄木に関する資料を、自由にみることが出来ました。続いて桜並木で有名は「播磨坂」を通り抜け「小石川植物園」に歩を進めました。
一口解説【小石川植物園】かつてここは白山御殿なるものがあった。五代将軍綱吉が館林藩主松平徳松として、幼少の時を過ごしたことでも名高い。その後幕府の御菜園がここに移転、小石川薬草園となった。青木昆陽はここでサツマイモの試作をし、江戸周辺の農村に配られた。吉宗の時には養生所を建て、貧しい病人を収容した。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」はここが舞台。生きた化石のメタセコイア、精子発見のイチョウの木、ニュートンが万有引力を発見したと言われるリンゴから接木したリンゴの木、メンデルが実験に使ったブドウの分株などがみられる。
柴田記念館、温室にも足を運び、園内をゆっくり見て回りました。ツツジ・サツキ・藤の花・ハンカチの木等彩り美しくそして、モミジが新緑の回廊を作ってそれは清々しいものでした。多くの園児たちが来園していて、楽しそうにお弁当を頬張っていました。私たち大人もとっくにお腹が空いています。広い園内は見所がいろいろあり切りがありません。日本庭園まで足を延ばし出口へ。バス利用で移動のはずが「20分も待つのなら歩きましょう」ということで、ランチのお店を探しながら結構歩きました。
ランチは、ベトナム料理「パンフィールド」。食べたことない、パクチーが苦手、滅多にないからここにしましょう、等々。興味津々でメニューをのぞき込み、フォーやトムヤンクン、ナシゴレン、ランチの定番をそれぞれに美味しくいただきました。
午後は、樋口一葉終焉の地、旧伊勢屋質店を巡ったのですが、その後がすんなりとはいかず菊坂を行ったり来たり、土地の方にお尋ねしてまた戻ったり。一葉の旧居跡は土地の方は「井戸のところね」というだけで、さっきのがそうじゃないか、また戻ってみよう、の繰り返しでした。
一口解説【菊坂・旧伊勢屋質店】伊勢屋質店のある所を菊坂という。江戸時代よりこの辺りは菊作りの家が多く、この名がついた。本郷三丁目より西片一丁目の台地下までの長い坂。この一帯には文人が多く居住していた。万延元年創業の伊勢屋質店、江戸時代の建物がみられるのは現在この近辺ではここだけ。関東大震災に耐え空襲にも合わなかったのは奇跡的。一葉は生活が苦しくなるたびにこの店に通った。
旅程の段階では、あと二人の文人を尋ねるコースでしたが予定を繰り上げ本郷三丁目を目指しました。ゲスト参加2名、計5名で、のどを潤し足の疲れを癒しながら、緑のそよ風に吹かれながらの今日の旅を、振り返りました。
<2024.5.10 掲載>