自主活動グループの広場
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シャトークラブ 活動紹介
~荻窪の三大庭園と名建築~
東京都世田谷区
2024年10月7日㈪ 東京都杉並区
シャトークラブ
今回の旅はお隣の杉並区へ向かうことにしました。荻窪駅を基点とし善福寺川周辺からの折り返しのルート、その間に居心地の良い庭園や新旧の名建築など、街中には見どころがたくさんありました。【荻窪三庭園】かつて政治家近衛文麿や井伏鱒二・太宰治・大田黒元雄・角川源義などの作家、文化人が暮らした荻窪。2024年12月には近衛の荻外荘(てきがいそう)公園が開園予定、区は大田黒公園・角川庭園・荻外荘の三大庭園を巡るグリーンスローモビリティを走らせる予定です。
集合:荻窪駅南口 10時
荻窪駅➡旧中田屋長屋門と明治天皇御小休所➡西郊ロッヂング➡オーロラの碑➡中央図書館➡読書の森公園➡大田黒公園➡渡辺家住宅(外観)➡黛節子旧居の地➡角川庭園➡荻外荘公園(工事中)➡中道寺➡荻窪不動堂➡善福寺川忍川上橋➡仲通り商店会➡荻窪駅 ランチ➡荻窪白山神社➡慈雲山荻寺光明院➡荻窪駅
駅からほど近いところにある長屋門は、11代将軍家斉が鷹狩りをする時の休憩所として使うので立派な武家長屋門を造らせました。明治天皇が飯能の近衛師団の演習時にここで休憩。元々中田家のものだったが現在の藤沢氏に譲渡された時に、長屋門をこのまま残してほしいと懇願。藤沢氏はこの約束を守られ、現在も維持に努められています。高い木立の中に建つビルと長屋門は調和がとれていました。
少し進むと西郊ロッヂングが見えてきます。2009年に「旅館西郊本館」「西郊ロッヂング」として国の登録有形文化財に登録。元々は文京区で下宿屋として創業、関東大震災後に荻窪に本館を新築しました。本館も新館も全洋室の高級や下宿屋でした。現在は本館は旅館、新館は賃貸アパートして営業しています。この辺りは戸建てにしてもマンションにしても建物と樹木との調和が目を引きます。
続いて荻窪体育館(旧杉並区立公民館)が見えてきました。一角にオーロラの碑があります。区民の学びと活動の場の公民館。原水爆禁止署名運動の発祥の地でもあり、この運動が全国に広がり1955年第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催されました。公民館閉館時に活動の足跡を残したいと区に建立請願したことにより1991年に建立されました。
中央図書館に隣接する読書の森公園。ネーミングが素敵です。黒川紀章建築の図書館にも入りました。おしゃれなカフェを思わせる内観、木のぬくもり、机の配置は画一的でなくガラス窓は大きくとってあり、公園と館内が一体化しているデザイン。ウッドデッキで外とつながっています。公園には杉並ゆかりの作家や詩人のモニュメント、ガンジーの像も建っていました。アンネのバラも植えられています。
閑静な住宅街、家々のたたずまいを楽しみながら大田黒公園へ。遠くからも森の様子が分かります。音楽評論家大田黒元雄が47年間過ごした屋敷を区に寄贈して、その後整備されました。イチョウ並木をはじめ巨木が茂っています。数寄屋造りの書斎、旧書斎の記念館、民家の土間を思わせる休憩所などの建物があります。記念館には氏が愛用したピアノ(1900年製スタインウェイ)や蓄音機が残されています。かつてはサロンコンサートが行われ、プログラムは版画家長谷川潔氏作、それらも沢山展示されていました。園内の紅葉はさぞや見事なものでしょう。11月下旬からライトアップ期間があります。(春の八重桜もお勧めだそうです)隣接するマンションは、集合住宅の名手今井敦氏設計によるもので、公園の緑を借景として取り込み、センスの良いデザインでいた。
舞踊家として活躍された黛節子氏の旧居の地の先に、角川庭園があります。俳人で角川書店を創設した角川源義の旧邸宅を整備し、折々の草花と俳句を楽しめる日本庭園。建物は近代数寄屋造りで、俳句仲間の加倉井昭夫氏の設計。2009年に国の登録有形文化財に指定。
公園から小路を抜けたところの「りとるぱんぷきんず」は、保育園です。調べていかなければココが保育園であることを認識できないような上質なデザイン空間。丁度ランチタイムで、小さな園児たちの様子が大きな窓からよく見えました。隣の集合住宅もとても洒落たデザインで、目を引きます。続いて、12月開園目指して工事中の荻外荘公園を眺めてから、中道時、荻窪不動堂を経て善福寺川へ。いくつも小さな橋をやり過ごし忍川上橋から、昔の雰囲気が残る商店街(仲通り商店会)をそぞろ歩きし、スタートの荻窪駅に到着。ここまで2時間半のゆっくり散策でした。
ランチは、駅上にある老舗洋食店のハンブルクステーキを美味しく戴きました。午後のコースは駅をはさんで午前と反対側にある、白山神社(下荻窪村の鎮守。大太鼓と神輿は立派でした)と慈雲寺荻寺光明院(荻窪最古の寺。本寺千手観音は行基菩薩の作で、某行者が背負ってこの地に来ると重くて歩けなくなったので、萩で草堂を作り安置した。そこを萩寺と名付け、それからこの地を荻窪と称した。)
陽射しが強い暑い日でした。冷たいもので喉を潤しながら今日の振り返りと次に向けての時間を持ちました。カフェを探すのに一苦労でした。ラーメン屋さんは目に入るのですが・・。やっとたどり着いたアメリカンカフェ、15時オープンの少し前でしたが「どうぞ」と。ゆっくりと語らいの時間を持つことが出来ました。
<2024.10.23 掲載>